出来事 あ行

小豆坂の戦い

第一小豆様合戦:天文11年(1542)8月(一説に12月)
西三河平野部への進出した織田信秀、松平氏を後援しつつ東三河から西三河へと勢力を伸ばしつつあった今川義元の戦い。織田方の小豆坂七本槍をはじめとした将士の奮戦によって織田軍の勝利に終わったとされる。
第二次小豆坂の戦い:天文17年(1548年)3月
織田信秀は岡崎城を武力で攻略することをめざし、庶長子信広を先鋒とし4,000余の兵を率いて安祥城から矢作川を渡河、上和田に着陣した。今川義元も松平氏救援のため約1万の兵を太原雪原を大将、朝比奈泰能を副将として出陣させ、織田軍先鋒の信広と接触し小豆坂で合戦となった。
この戦いは今川方が勝利したといわれています。

石橋山の戦い

治承四年(1180)に源頼朝と平氏政権勢力(大庭景近ら)との間で行われた戦い。
源氏軍は300騎が石橋山に陣を構え、対する平氏軍は3000騎が谷を一つ隔てて布陣して戦い、源頼朝は大敗し箱根山中へ敗走した。

奥州合戦(おうしゅうかっせん)

文治5年(1189)源頼朝が義経をかくまった藤原泰衡を平泉に攻めて滅ぼした戦い。

大蔵合戦(おおくらかっせん)

 1155年8月16日、平安時代末期に武蔵国で源義平が源義賢の拠点であった大蔵館を襲撃し、義賢と秩父
 重隆を攻め殺した戦い。

桶狭間の戦い

永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国知多郡桶狭間での織田信長軍と今川義元の合戦。
2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が本陣を攻撃し、今川義元を討ち取った。
戦後、今川家は没落。織田信長は天下統一、松平元康(徳川家康)は信長と同盟を結び独立し、三河統一へ向かう転機となりました。

桶狭間古戦場公園の今川義元、織田信長像(名古屋市緑区)
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